岐阜・点名神原と岩岳

       【山行報告】   記;山口敏晴

平成18年10月14日   「点名・神原」 二万五千分の一<谷汲>
平成18年10月15日   「岩岳」  二万五千分の一<谷合>

10/14 向島6:30−−−10:20揖斐川町−−−11:15谷汲村横蔵寺11:40.....東海自然歩道...いこいの森...12:25仁王門跡...13:30点名神原(△606.6m 三等三角点)...14:45車の所−−−根尾村−−15:45岩岳取付(泊)

10/15 6:05....9:05岩岳頂上(△999.5m 三等三角点)....10:30車のところ−−−−17:10向島 往復走行距離 430km
10/14〜10/15の土曜・日曜で、岐阜を訪れる。点名神原は、谷汲村にあって、三等三角点がある。岩岳は、根尾村にあって、続岐阜百山のひとつである。

先週の10/8には、奈良・大峰に行って、白倉山587.6m 四等三角点を登った。
10/9には、鈴鹿に出かけて、大日向696.5m 三等三角点を登ってきた。

10/14朝,向島を出発。谷汲村横蔵寺をめざす。
横蔵寺は、伝教大師最澄によって開創されたと伝えられる。
ここから、谷汲山華厳寺に至る、東海自然歩道を歩く。いこいの森入口には案内図があった。
行楽日和であって、5組のハイカーに出会った。仁王門跡を過ぎて、熊谷直実(なおざね)の墓があった。
源平の時代(1184年)一の谷の戦いで、敵の幼い大将平敦盛の首を討ち、戦いの無情さに心を痛め、修行僧となり諸国行脚の末、この地で亡くなったという。
しばらくで、旧横蔵寺の寺院跡があった。
案内板があり、延暦20年(801)比叡山延暦寺の本尊と、一本分体薬師如来像をもって、伝教大師がこの地で開山した。
江戸時代になって、山の下の現在地に移ったという。
三等三角点を探しに、東海自然歩道を離れて、しゃくなげ平と呼ばれる所の一番高い所に行ってみたが、白山権現堂のほこらがあっただけで、三角点はなかった。
一度、林道に出て、再び登り返すと、ベンチがあり、ここに三等三角点があった。プレート類は何もなかった。車に戻り、根尾村に向かった。

東板屋の集落から、農道の終点に目印があり、岩岳の取付があった。
ここには駐車スペースがなく、上葛橋まで戻って、路肩に車を停めようとしていたら、地元の人が来て、今は住んでいない家の空地に停めていいよと、親切に言って下さった。
熊には、注意しなされということだったが、このおばあちゃんの熊の話は、最近のことではなく、もう何年も前の話であった。

10/15朝6時、歩き始める。この山の標高は1000mあり、登り甲斐のある山である。
登るにつれて踏跡が怪しくなってきた。
幸い、熊が出てきそうな気配はなかった。頂上付近は、藪になっており、岩岳の最高点は、藪がきつくて、あきらめた。
あきらめて戻りかけた所に、三角点があった。ラッキーであった。歩きだしてから、3時間かかった。下りで、ラジオを鳴らしナタを持った、二人組が登ってきた。