岐阜・大黒山と天狗ヶ城

       【山行報告】   記;山口敏晴

平成18年9月30日   「大黒山」  二万五千分の一<谷合>
平成18年10月1日   「天狗ヶ城」

9/30 向島6:50−−−山県市谷合−−12:30大黒山取付....13:15△311.4m四等三角点....14:05大黒山頂上(△524.4m 三等三角点)....15:00
車のところ−−−−16:00道の駅洞戸(泊)
10/1 6:00−−市井−−6:20天狗ヶ城取付...貴舩神社...7:50天狗ヶ城
頂上(684m 三角点なし)....9:15車のところ−−−−17:15向島
岐阜の旧美山町(現在山県市)を訪ねる。
大黒山(だいこくやま)は、ガイドでは、山頂に電波反射板が立っているていうことで、歩きやすい山だと思っていたが、行ってみると、反射板はなかった。
天狗ヶ城は、続岐阜百山の一つで、源氏が陣を敷いた伝説の山である。

9/30,朝向島を出発。大黒山をめざす。
R418谷合にある、美山北中学校を探すと、角に、大黒山と書かれた道標が見つかった。
ここから、浦部谷ルートを行くつもりにしていたが、近くにある民家に道を尋ねると、大黒山へは、浦部谷からは行けないよ、尾根コースをとったほうがいいよといわれた。
取付のある、日蓮本宗本法寺へ行くと、大黒山登山口と書かれた標識があった。
一箇所道に迷ったが、あとは、よく踏まれた道が続いていた。
311.4mの四等三角点を確認して、50分で、大黒山の頂上に着いた。
古びた、大きな山名板があったが、反射板はなかった。
三角点も見つからなかった。
あたりを見回すと、浦部谷から廃村馬場洞を経て登ってくる道は消えていた。
眺めは、反射板のある日永岳1216mは、すぐにわかった。
車に戻り明日登る、天狗ヶ城の下見をする。
葛原地区に入り、バス停八月を過ぎると、酒屋があり、ここで貴舩神社を聞くと、200m行くと、案内板があると教えてくれた。
行ってみると、確かに立派な天狗ヶ城登山ルートが書かれた案内図があった。
道の駅まで戻って、車中泊とした。

10/1,朝5時半に起床して、市井の登山口に車を停める。
貴舩神社に着くと、天狗ヶ城登山道の杭があり、最初は刈り払いされていた。天狗ヶ城までは2.8km,三角点のある松宇土までは、3.5kmの道のりである。
歩きだして、80分で、頂上に着いた。
三角点はなく、史跡天狗ヶ城と書かれた杭と案内板があった。
今から800年前,源氏の勢力が台頭して、日本を治めていた平家と戦いを起こしていた。
その一つが、富山県トナミ山の戦いで、平家は敗れ、旗大将の藤原長門守家次は討死し、家次の残党360余名は、逃れて、葛原の平家平に隠れた。
平家滅亡の年の5月、源氏は平家の残党を探し求め、葛原に押し寄せてきた。
平家の残党は戦って、敗れて後退して、天狗ヶ城に籠もった。決死の戦いの結果、平家の残党は、ここでやっと勝利し、この地に土着したという。