奈良・耳我ノ峰


                             【山行報告】   記;山口敏晴
平成18年1月9日   「耳我ノ峰」   五万分の一<吉野山>

向島7:15−−−8:50針−−桜井市−−9:50旧鹿路トンネル手前....竜在峠....10:25耳我ノ峰頂上(△752.5m 三等三角点)....11:15車のところ−−−−15:15向島  往復走行距離 231km

耳我ノ峰は、奈良県吉野町と明日香村との境にあって、点名を城ヶ峰という。
年末の12/25には、奈良県榛原町にある、点名山辺(△511.9m 四等三角点)を登ってきた。

桐頭の集落から取付いた。地元では、山辺山と呼んでいた。 帰りに、山部赤人の墓に寄ってみた。
東海自然歩道にあり、ここから額井岳.戒場山への登山口があった。
戒場山へは30分,額井岳まで3kmの道標があった。
山部赤人の墓には、案内板があった。田児の浦ゆ うちいでてみれば真白にぞ不尽の高嶺に 雪は降りけると詠んだ山部赤人は、聖武天皇の頃(8世紀) 宮廷に仕えた下級官吏ですが、宮廷歌人として数多くの歌を残している。
没したのは、天平8年(736年)といわれ、この地でしずかに眠っているとあった。

1/9,朝向島を出発。昨日暖かかったので、路面の凍結もましである。
桜井市に入り、県道37号を南下する。御破裂山608m(平成11年3月登頂)が見えてきた。
多武峰を過ぎて、取付の鹿路トンネルがあるはずだが、新鹿路トンネルができており、ここには山道がない。
地元の人がいて、旧鹿路トンネルを教えてもらった。道がアイスバーンになっており、トンネル手前に車を停めて、歩きだす。
竜在峠をめざす。積雪は10cmほど。竜在峠には、あずまやがあって、むかしの茶屋跡と書かれてあった。
明日香村と吉野町の両方の道標があった。
冬野に1.9km,滝畑に1.9kmとある。細峠には700mで、ここから尾根伝いに789.8mの四等三角点を通り、大峠から針道の集落に降りることができる。
本居宣長が1772年に、この峠を通ったとある。本居宣長は、江戸中期の国学者で、伊勢松阪の人。
賀茂真淵に入門して、古道研究を志し、「古事記伝」を完成させた。
あずまやの中には、本居宣長の明和9年3月の「菅笠日記」の一節が記されていた。
吉野へは この門のもとより左におれて別れゆく....なお同じやうなる山路をゆきゆきて 又たむけ(竜在峠)にいたる....   
竜在峠からは藪漕ぎになり、耳我ノ峰頂上に着いた。
三等三角点と、真新しい国土地理院の白い杭があった。
プレートがあり、平成9年10/10城ヶ峰と書かれてあった。南の展望が開け、視界よく、吉野の山々や高野山が望まれた。