開聞岳は、鹿児島県開聞町にあって、深田百名山のひとつ。
烏帽子岳は、鹿児島県喜入町にあって、九州百名山のひとつ。
戸上山は、福岡県北九州市にあって、九州百名山の一つである。
年末年始、九州の旅に出かける。 暖冬であったが、12/30晩から寒波がやってきて、九州にも雪が降った。 計画していた韓国岳1700m,高千穂峰1574mは未踏となった。
12/29朝,向島を出発。岩国で泊まって、12/30,九州に入った。
今日は、えびの高原に行く予定であったが、えびのPAから山を見ると、すっかり雪化粧している。 えびの高原に至る道は、チェーン規制があり、韓国岳はあきらめて、鹿児島へ南下した。 桜島PAで泊まりとしたが、夜雨となった。この雨は、北九州では雪となった。
12/31,鹿児島市内見物をする。
西郷隆盛の洞窟を見てくる。案内板があり、1877年(明治10年)9/24午前4時,政府軍4万の城山攻撃が始まり、49歳の生涯を閉じたとある。
案内板の題が気に入った。 「おはんらにやった命 MYLIFE IS YOUR HANDS」
城山展望台には、西郷隆盛の健康診断書があった。 身長178cm,体重120kg,血液型B型とあった。展望台からは、桜島が目の前にあった。 開聞岳は、雲の中であった。(地元の人の話では、昨日はよく見えたという。)
南州墓地、西郷隆盛の銅像(軍服姿であった)を見てから、R226を南下した。喜入町に九州百名山の一つ、烏帽子岳があり、これを登ることにした。
第一鳥居に道標があり、頂上まで3.3kmとあった。車で頂上まで2.5kmのところまで行って、歩きだす。
すぐに第二鳥居があり、1時間も歩くと、烏帽子嶽神社のある頂上に着いた。 木立があって視界はよくない。 神社では、迎春準備をしていた。頂上にある、地図をみると、指宿スカイラインから徒歩10分で登れるコースがあるようだ。 車に戻り、指宿に向かう。地元の人に公衆浴場を聞くと、教えてくれた。
弥次ヶ湯で、指宿市役所の近くにあった。(250円)
さっぱりしたところで、開聞岳登山口に向かった。 1.5合目にふれあい公園があり、ここに車を停めた。目の前に開聞岳があった。 風は冷たく、時雨れている。明日のご来光は、どうやらむずかしいようである。
1/1,平成17年の初登山は、開聞岳となった。去年の元日は、佐賀県有田の黒髪山516mであった。 平成15年は、福岡県の古処山862m,平成14年は、英彦山1200mであった。 大晦日の晩は雷が鳴って、元日の登山が懸念されたが、起きてみると、雨は止んでいた。 車は20台ほど。山を見ると、頂上付近には雪がある。
今回、京都を出発する時は、まさか雪の開聞岳を登るとは、思ってもいなかった。 標高は1000mに満たないが、登山口からの高低差は、890mもあり、決して
簡単な山ではない。 薩摩富士の名を持ち、錦江湾の入口、海門にあることから「かいもんだけ」と呼ばれるようになったという。 二重火山で、登ってみてわかったが、中腹までは火山礫,上部は堅い安山岩からなっている。
朝7時半、歩きだす。2合目には、頂上まで3.5kmの標識があった。ご来光組が降りてきた。 5合目までくると、あと2kmの標識。 7合目からは、雪道となった。歩きだして、1時間50分,頂上に着いた。風が冷たい。樹氷がきれいである。 天気になって、長崎鼻,池田湖の眺めがいい。三角点のそばに、昭和63年7/20皇太子登頂の碑があった。 下山にかかって、昼前には車のところに戻ってきた。これから福岡に戻るのに、枕崎から薩摩半島の西海岸を北上した。
串木野には、高校女子駅伝の名門,神村学園があった。鶴の飛来で有名な出水市を通り、水俣市から、田浦町の道の駅で泊まりとした。
1/2,八代から九州道に入る。午前中は低温状態であったが、北九州までくると暖かくなってきたので、門司にある、戸上山に登ることにした。
登山口には、企救自然歩道・頂上まで1.8kmと書かれた道標があった。歩きだす。すぐに雪があり、頂上は40cmほどの積雪であった。 雪の上に踏跡が続いていた。 1時間歩いて、頂上に到着。三角点は雪の中にあり、掘り起こして見つけた。 山小屋があり、ハイカーが暖をとっていた。ここには、戸上神社の上社があった。 足立山597.8mまでの縦走路があった。7.2kmの道のりである。(一等三角点のある足立山は、平成14年12/29登頂した)
車に戻り、帰路につく。タイミングよく、福岡の大雪がおさまったところで、京都にもどることができた。
深田久弥の本には、「開聞岳の名は中学生の頃から知っていた。近所に七高造士館へ行っている先輩がいて、その人が帰省する毎に、いつも西郷さんとこの山の話が出たからである。 それ以来開聞岳という名は私の脳裏に刻まれた。」
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