鈴鹿・大岩山

            【山行報告】 記;山口敏晴

平成15年3月28日   「鈴鹿・大岩山」    五万分の一<亀山>

向島7:25−−−8:50土山町北土山−−−田村神社−−9:35取付....10:10 大岩山頂上(△505.4m 三等三角点)....10:55車のところ

大岩山は、滋賀県土山町にあって、点名は石神。三等三角点が置かれている。
今日は暖かい、絶好の行楽日和となって、一気に桜の開花も進んだようだ。

3/14には、奈良の室生村にでかけて、沼山(△783.3m 三等三角点)と酸漿峯(△515.4m 三等三角点)を登ってきた。

3/20には、熊笹会の西川氏と同行して、鈴鹿に出かけ、彦根市にある、イブキ(△550.4m 三等三角点)を登った。点名は小谷。

3/21には、京都府瑞穂町にある,西山(さいやま)△559.7m 三等三角点を、瑞穂町と篠山市との境にある板坂峠から登ってきた。
板坂峠には、丹波町が近いいこともあって、鳥インフルエンザの消毒ポイントがあった。

3/28,向島を朝出発。土山町へ向かう。
国道1号線を走っていると、今日は、土山で斎王群行がある日で、看板に午後から通行止があると書かれてあった。土山の道の駅に行ってみると、資料が見つかった。
7世紀後半から南北朝にわたる約660年間、天皇名代として伊勢斎宮へ向かった斎王の行列を、垂水斎王 頓宮跡を中心に、再現しているという。

大岩山の取付は、田村神社を過ぎて、カーブが東へ曲がる所で、車を停めて歩き出す。目印はなかったが、40分ほどで頂上に着いた。
視界はよくなかったが、眼下に青土ダムが見えた。
イセ愛山会の平成7年3/27のプレートがあり、ここには山の名が青土と書かれてあった。
4本のコンクリートの柱の跡があったが、何に使われたのか、わからなかった。

斎王制度は、今から約1300年前、第40代天武天皇の御代(みよ)に制定されたもので、歴代天皇が御即位されるたびに未婚の皇女(天皇の姫君・内親王のこと)または女王(天皇の兄弟の姫君)の中から占いによって選び出された斎王を、天皇の御名代天照大神の御杖代(大神に奉仕するもの)として、伊勢の斎宮御所へつかわせ、天照大神をはじめ、115座の多くの神々を、お祭りさせる 制度であった。

精神潔斎を終えられた斎王は、御所へ行き、天皇のお膝もとで御櫛の儀(天皇と斎王の別れの儀式)発遣の式(群行の出発にともなう儀式)を行ない、伊勢の斎宮御所へ旅立つのである。
この旅には、数百人のお供の人達が、付き添う大集団の旅であるので、斎王群行といわれている。

斎王が宿泊された所を、頓宮といい、土山町の垂水の頓宮は、群行が平安京を出て、3日目に泊まられた所だという。