奥美濃・土蔵岳1008m


    【山行報告】                    記;山口敏晴

平成13年4月14日〜15日  《土蔵岳》     二万五千分の一<美濃広瀬>

4/14 向島8:30−−10:35 愛東町「道の駅」11:40 −−R303−−−坂内村川上−
上原谷出合14:45 (泊)

4/15 5:50....6:15支尾根取付...7:30・885mピーク....8:35土蔵岳
頂上(1008m 三角点なし)9:05....9:50・885mピーク....10:35 車のと
ころ10:45 −−−11:00 広瀬神社11:15 −−−13:50 愛東町−−−16:20 向島

(村田),山口,                往復走行距離 383km


土蔵岳は、岐阜県坂内村にあって、岐阜百山のひとつ。
1ヵ月前の3/10〜3/11に土蔵岳をめざしたが、天気悪いのと雪が多すぎて行けず 今回、再挑戦して登頂に成功した。

土蔵岳の名の起こりは、滋賀県の土倉(木の本町)から発したもので、ここに銅 山があって戦争中は、千人もの人が働いていたという。
4/14の昼に、滋賀の村田氏と合流して、岐阜県に向かう。R303を北上する。
天気予報では、夜は雨になるが、明日は回復するという。坂内村に向かう。
前回、川上の集落の先にあったゲートはなく、先へ進む。上原谷の出合で車を停 める。時間があるので、下見をすることにした。
このあたりは、すっかり雪がなく、1ヵ月前と様変わりしている。「マムシに注 意」と坂内村の名で看板があった。上原谷に沿って道があり、車でもっと奥まで 行けそうだが、デブリがあってやめにした。
15分ほど歩くと、大きな堰堤があらわれて、ここで道はなくなっていた。ここか ら、左にとるか、右にとるか、思案のしどころである。村田氏に左右の様子を見 てもらった。正面に土蔵岳から大ダワ1067.6m に至る稜線が見えている。まだ、 かなりの雪がある。右の斜面は急で、大ダワの三角点には近いが、荷物を背負っ て登るにはここは雪がないので、時間がかかりそうである。

左のゆるやかな斜面を登ることにした。取付には、廃屋があった。
天気があやしくなってきたので、引き返すことにした。車に戻ると雨になった。
食事の準備にとりかかることにした。雨は、夜にはやんでくれた。
4/15、朝5時起床。5時50分出発。アイゼンは置いて、ピッケル,かんじきを持 っていくことにしたが、結局、かんじきは使わずじまいであった。
廃屋の所から支尾根に取付く。目印はない。登るにつれて、雪があらわれてくる 。885mピークに着いた。磁石で土蔵岳を確認すると、北前方の山である。
夏道に使う目印が見つかって、鞍部に降りる。県境を示す、黄色い杭が現れて、 いよいよ土蔵岳が近づいてきた。足取りも軽い。頂上付近はブナの林であった。 歩き始めて2時間45分、土蔵岳の頂上に到着。積雪は、1メートルほどであろう か。大きな木の3mほどの高さの所に、岐阜百山会のプレートがあった。
こんな高い所にあるのは、雪深いからであろう。300 名山の猿ケ馬場山1875m に 登った時も、同じように、高い所にプレートがあったのを記憶している。
下にあった各務原山岳会のプレートは、標高が1002m となってる。1008m なのに おかしいなと思って、帰ってから昭和50年に発行された、岐阜百山の本を見ると やはり1002m であった。
今日は快晴で、眺めがいい。南に金糞岳1317m ,西にひときわ大きな山塊は横山 岳1132m である。金糞も横山も、まだまだ雪が多い。
車に戻って、湧谷山の取付である、広瀬神社に寄ってみる。目印があり、登山口 が確認できた。
前山の丁字山1011m が見えたが、雪は少ない。名古屋ナンバーと 岐阜ナンバーの車2台あったが、湧谷山に登っているかどうかはわからなかった 。
残雪期の道のない山を、またひとつ登ることができた。満足の2日間だった。