{山行報告} 記;山口敏晴
平成10年4月 【平家岳】 五万分の一<能郷白山>
25日夜〜26日
4/25 京都駅20:00 −−−名神・一宮インター22:10
〜東海北陸自動車道・白鳥
インター23:25 −−−道の駅「白鳥」23:35 (泊)
4/26 5:00−−−九頭竜湖・箱ケ瀬橋5:35−−−6:00面谷林道途中6:20....
6:25鉱山跡...6:40登山口...7:45巡視路分岐...井岸山....9:40
平家岳頂上(△1441.5m 二等三角点)10:35 ...12:10 巡視路分れ....
12:50 登山口...13:10 車のところ13:35 −−−14:15 白鳥インター−−−
名神・一宮インター16:00 −−−向島18:50
伊藤(男)、板谷、矢持、山口、 4名 往復走行距離515km
平家岳は、越美山地にある、二等三角点の山。
長年暖めていた山であったが、やっと登頂の機会が訪れた。
伊勢に逃れた平清盛の孫の、資盛の子孫が山麓に住みついたと伝えられる。落人伝説の残る山である。かつては秘境の山であったが、電源開発の九頭竜ダムができて、送電線の巡視路が利用できるようになった。
週の初めの天気予報では、日曜は雨であったが、幸いにして予報が外れて、雨にならずに済んだ。
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| 面谷由来の石碑 |
土曜の夜出発、道の駅「白鳥」で泊まりとする。次の日、5時に起きて九頭竜湖に向かう。箱ケ瀬橋を渡って、面谷林道を行く。悪路であって、私の車では終点まで行けず、途中で車を降りる。
歩き出して、すぐに鉱山跡が見えてくる。墓石のあるところには、面谷の由来を記した案内板がある。大正11年に離散したそうであるが、平家の落人のことはふれられていない。20分も歩くと、登山口に着く。
尾張小牧ナンバーの車が2台あって、3人が朝食の準備中であった。平家岳は、これで2回目であるという。やはり魅力のある山なのであろうか。
ここに登山口の標識があって、よく踏まれた道が続いている。迷うことはない。
支尾根にとりつく。急登である。天気の回復が遅く、ガスがかかって、まわりの景色が見えないのが、残念である。
最初の鉄塔のあるところまで出てくると、まわりはシャクナゲが多くて、すでに綺麗なピンクの花が咲いている。
カタクリの花も、たくさん見受けられて嬉しい。
面谷の由来
面谷のあるこの地方一帯は昔から穴馬郷と言われていた。
周囲は山に囲まれ、南には平家岳、東北に荒島岳、その中央部を大小の川が合流し九頭竜川に流入する。
面谷はこの支流面谷川上流の山峡に出来た部落である。この地域は農耕地が少なく、紀行が酷烈であった。そのために早くから開発されていた鉱山のみに依存して、数百年にわたり面谷を中心とした生活圏を形成してきた。そして面谷鉱山の経済活動の消長と運命をともにしてきた。
鉱山開発の時代は明かではないが、康永年間(日本鉱業史には康平)本村猟師清兵衛が、面谷真平山頂に露出した巨岩の間にうずもれた一大老松根に露れた鉱苗を発見し、是を掘さくして鉱脈に当たったという。そして天正年間、碓井直右衛門が更に開坑し、後に大阪の豪商和泉屋、次いで西京の文鋼が、金主となり元亀の頃に隆盛を極め元和の頃はやや盛況に赴き採鉱業者七十余戸で一村落を作っていた。面谷六十三戸の先祖である。
その後、寛文九年には福井松兵侯が、天保三年には大野藩土井侯が幕府から資金を借りて稼業するなど、藩財政にも多大な影響を与えた。
明治四年に明治維新政府よりの請負として村民の採掘が許可され、杉村次郎と共同で鉱業社を設立創業した。そして明治十七年秋田弥右衛門が、ついで明治二十二年三菱合資会社がこれを継承、本格的な近代鉱山の経営が開始された。
面谷は三菱合資会社が鉱山を経営していた明治二十二年から大正六年頃までが全盛時代であった。最盛時には六百戸・三千人が住んでいた。大野町に電気がない頃、既に面谷川の流れで自家発電し、電話、電信も早くから開通し、穴馬の銀座と言われた。
しかし、大正十一年、遂に閉山の止むなきに至り、全住民は故郷を捨て、主として大野、名古屋、岐阜、東京、その他各地へ離散し、現在は荒廃地と化してしまった。
隣の墓地は、当時面谷に居住していた人々の先祖の墓である。 |
やがて、美濃平家岳1450m と平家岳の分かれに着く。井岸山と呼ばれるそうだが、プレートもない。
まだガスがたれこめていて、両山の山容ははっきりしない。
勘違いをしていて、井岸山と美濃平家岳は同じ山と思っていたが、後から登ってくる人に美濃平家岳を教えてもらって、違う山であることがわかった。
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| 平家岳山頂 |
歩きはじめて、3時間20分で平家岳の頂上に立つ。
一本の木もなくて、360 度の展望が期待出来る山である。
天気が回復してきており、ガスの晴れるのを待つ。やがて視界が開けて、雪を被った山々が見渡せる。白山が遠望できる。
やはり今年は雪が少なくて、猿ケ馬場は、全く雪がないそうである。
能郷白山1617m や荒島岳1523m は真近である。
平家岳から稜線伝いに、左門岳1223m があるが、ここから先は道がなく、帰りは同じ道を辿る。頂上に一時間いて、眺めを楽しんだ後、下りはじめる。
単独行に会う。そのあと、3人、4人、3人のパーティーに会う。なかなか人気のある山である。
登る時には見えなかった平家岳の山容がしばらく見られる。登山口まで降りてくると、車が3台増えていて、5台になっていた。石川、福井のナンバーであった。ゆっくり歩いていたので、帰りに一浴する時間がなくなってしまったが、いい天気に恵まれて、快適な山歩きができた。
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