福井県の山・鉢伏山762m

{山行報告}                     記;山口敏晴
平成10年4月19日     【鉢伏山】       五万分の一<今庄>

京都駅7:00−−−R161−−9:10敦賀市−−9:45新保....10:30 木ノ芽峠..
観音丸城址..鉢伏城址.....11:00 鉢伏山頂上(△761.8m 二等三角点)
11:35 ...11:50 木ノ芽峠...12:00 言奈地蔵堂....12:50 車のところ
13:05 −−−−14:25 朽木温泉「てんくう」15:40 −−−−17:55 向島

津田、山田、伊達、矢持、山口、  5名     往復走行距離 242km
木の芽城址 鉢伏山頂展望案内板 言うな地蔵のいわれ

鉢伏山は、福井県にある、二等三角点の山。木ノ芽嶺ともいう。
予定していた、ブンゲン1260m (五万分の一横山)は、先週登った山仲間の情報で、笹が密生しているところがあって、傷だらけになったということで、残雪期に登るのが好ましく、延期にする。
木ノ芽川沿いに、新保の集落にたどり着く。車が一台置いてあったが、山菜取りであった。ここから歩いて、木ノ芽峠に向かう。よく踏まれた道があり、雨上がりで、緑が美しい。道端には、花がたくさん咲いており、目を楽しませてくれる。スミレがいたるところに咲いている。ニリンソウの群落があり、かわいい白い花をつけている。イカリソウもよく目にする。

    木の芽城址
この城は、観音丸城と一体的な城で、木の芽峠の要衛を押さえる重要な役割を持っており、少なくとも南北朝時代には、築城されていたと思われるが、確認できるのは戦国時代である。「朝倉始末記」によれば、永禄十二年(1569)、織田信長の越前侵攻に備えて、木の芽に城を構えたのが始まりである。その後、織田方や一向一揆勢も立てこもった。
 城の規模は、長径約180m・短径約130mある。
 城のつくりは、最高所の二つの郭を配し、西に腰郭をおく。南は大きな堀切で尾根を断つ。全体で、30の郭、二本の堀切、10本の竪堀が築かれている。井戸のある水の手郭もあきらかになっている。

 45分歩いて、木ノ芽峠に着く。ヤマブキの黄色い花をみかける。この峠は「日本百名峠」に選ばれている。藁葺きの茶屋があり、ご主人に挨拶する。
木ノ芽城址の案内板と、木ノ芽峠由来の説明板がある。
鉢伏山をめざして、歩き出すと、下に車道が見えてくる。今庄町板取に向かう道である。頂上付近に目をやると、なんとスキー場のリフトが見える。私の持っている、平成元年の五万分の一地形図には記載がないが、スキー場が出来ていて、ロッヂもある。
鉢伏城址に着く。頂上は、だだっ広く、山頂展望案内板があって、野坂山や常神半島が見えるそうだが、急にガスがわいてきて、生憎である。

  言うな地蔵のいわれ
このお地蔵さまは弘法大師であるという。
昔、大金を所持した旅人を乗せて、この峠を越えた馬子があった。馬子はその旅人を殺して金を奪ったところ、地蔵の面前であったことに気づき“地蔵言うな”とひとり言った。
すると地蔵は“地蔵は言わぬがおのれが言うな”と言い返された。感きわまって改心し善人に立ち返った。
其の後、年を経て再びこの峠を越したとき、年若い旅人と道連れになり、よもやま話をして地蔵の前にきた。馬子は霊験あらたかな地蔵であることを告げると、そのいわれを問うた。馬子は先年の悪事を語り、ありし次第を告げた。この旅人はその先年殺された旅人の息子で、親の敵を尋ね歩いていたのである。息子は天にも昇る心地がしたが、このような山中でかたきを討つよりは共に敦賀まで出てから名乗りをあげてこれを討ちとったとのことである。
             今庄町

 三角点のところで昼食にしてから、木ノ芽峠に降りる。寄り道して言奈(いうな)地蔵に行ってみる。木ノ芽峠を少し下りたところに、駐車場があり、ラーメン屋が営業していた。大きな看板があり、スキー場の案内かと思ったら、木ノ芽城塞図であった。
花の多い山で、女性たちに喜んでもらえた、山行きであった。