{山行報告} 記;山口敏晴
平成10年6月 【矢筈ケ山】 二万五千分の一
20日夜〜21日 <伯耆大山>
6/20 京都19:00 −−京都縦貫道−−須知−R9−22:10 村岡町「道の駅」(泊
6/21 4:45−−鳥取市−−赤崎町−−6:55船上山登山口−−一息坂峠−−香取−
−−7:40林道途中...8:35とりつき...8:50岩伏の分かれ...9:30
大休峠9:45...10:30 矢筈ケ山頂上(△1358.6m 一等三角点)10:40 .
..11:15 大休峠...12:15 車のところ12:30 −−−−14:40 湯村温泉
15:25 −−−18:10 須知−−−19:40 向島
往復走行距離605km
(岸本)、(谷井)、長谷川美波、山口、 4名
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| 矢筈ケ山山頂 |
矢筈ケ山は、鳥取県にある、一等三角点の山。
近くに伯耆大山があることから、目立たない山であるが、大山の展望台として、見逃せない存在である。
大山の弥山1711m には、平成4年に大山寺から登っており、平成9年5月には、烏ケ山1448m
に行っている。
矢筈とは、弓矢の上端の弦を受けるところであり、従って双耳峰である。
この山の点名は二子山である。「日本の山1000」には、この山を含めて矢筈と名のつく山は6座あった。
先週、登頂する予定であったが、雨で中止になり、今週にずれこんでしまったが、梅雨の時期であり、天気は怪しい。
中国道・米子道を使わずに、京都から9号線を北上する。途中、村岡町の道の駅で仮眠する。翌朝、4時起床、鳥取市、東伯町を過ぎて、赤崎町から、矢筈ケ山のとりつきである、船上山をめざす。船上山の登山口に立ち寄る。案内板があり、後醍醐天皇が旗上げ(1333年)したことが伝えられている。
ここから船上山行宮跡615.6mを通って、勝田ケ山1149m 、甲ケ山1338m から、矢筈ケ山に続く縦走路は、魅力的であるが、コースタイムは片道で4時間かかり、今日は、時間が足りない。香取まで、車で行って最短コースをとることにする。川床の集落からの道もあるが、香取の集落から林道を南に進む。標識は、何もなかったが、この林道で間違っていなかったようで、未舗装の悪路になったところで、車を停めて歩きだす。
途中、佐世保ナンバーの車が停まっていたが、山登りではなかったようである。
岩伏の分かれのとりつきを見つけるに、ちょっと時間がかかったが、甲川方面という看板があり、(地図をよくみると、甲ケ山、矢筈ケ山を源とする、甲川という川がちゃんと載っていた)歩きだしてまもなく、「岩伏分かれ・大休峠」と書かれた立派な標識が見つかった。
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| 矢筈ケ山一等三角点標石 |
土曜は晴天で、日曜も晴れを期待していたが、西に来ている為、天気の崩れが早く、朝8時半には、雨が降りだしてきた。
岩伏分かれに着くと、大休峠2kmの標識がある。40分で峠に着く。
ここには、立派な避難小屋があって、一休みする。私の持っている、昭和51年の地図にも、大休峠に避難小屋の記載がある。まだ新しいもので、最近になって、建て替えられたようである。
ここから西は伯耆大山へのルートであって、看板に距離は書かれていないが、稜線に小屋が見える。ユートピア避難小屋のようである。
東に行くと、一向ケ平で5kmの道のりである。
我々は、ここから船上山への縦走路にある、矢筈ケ山をめざす。
コースタイムは、一時間であったが、45分でたどり着く。
雨であったが、ガスはかかっておらず、大山・剣ケ峰1729m の雄姿が見渡せる。
烏ケ山も顔を出しているし、甲ケ山の絶壁が、目の前である。
この絶壁は、地図では危険マークが入っておらず、鎖場はなさそうで、巻き道になっているようである。
一等三角点の標石の他に、新ハイキングクラブ別府のプレートがあった。
この会も、一等三角点を狙っているようで、平成6年4月9日に丹後半島の太鼓山683.1mを登ったときも見かけたし、平成7年2月5日に、高野山にある陣ケ峰
1105.8m を訪れた時にもあった。
天気がよかったら、いい写真が撮れたであろうに、残念である。
早々に、大休峠に戻る。避難小屋には、団体のハイカーが休んでいて、今日は、ここまでだという。
雨でなかったら、関金町と、八束村の境にある、一等三角点の山、仏ケ仙743.5m
に寄るつもりであったが、次回にして、帰りは、湯村温泉で一浴して、300km の道のりを、7時間かかって、京都に戻ってきた。
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